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Episode11'
総集編
デットマール・クラマー邸。ミュンヘンからクルマで2時間ほどの、あと20キロでオーストリア国境という街です。国境を越えてオーストリアに入ったすぐのところに、ベッケンバウアー氏が住んでいるそうです。
クラマーさんが迎えに出てくれました。

目の前にそびえる山を説明していただきました。

これがその山。この山頂からパラグライダーを楽しんでいるとのこと。81歳にして超元気です。

その元気の元が、地下にあるトレーニングルーム。

☆ デットマール・クラマーさん。
1964年の東京オリンピックにむけて、サッカー強化の為に日本がドイツから招聘した人物。岡野、川淵、釜本氏らを指導した。「日本サッカーの父」と呼ばれている。
クラマーさんの話「日本選手は足が速い。他の技術を、足の速さまで引き上げなければならない。足の速さを他の技術レベルまで引き下げてはならない」
クラマーさんの有名な言葉。
・ 試合で勝った者には友達が集まってくる。新しい友達もできる。本当に友人が必要なのは敗れた時であり敗れたほうである。
私は敗れた者を訪れよう。
・ タイムアップの笛は、次の試合へのキックオフの笛である。


ボンに帰り着くと、またしても激しい雨。この夜は、「上条」でボトルキープしていた「100年の孤独」を空けました。 この日(6月20日)から、3日連続で観戦。
まず、ケルンでスウェーデン・イングランド戦。
日韓の時、最初に見た試合がこのカードでした。
スタジアムでは、前から2列目。

ベッカムも目の前になる。
ケルンへはタクシーで行きました。帰りはスタジアム近くではタクシーが見当たらず、そのうちに雨が降り出して途方にくれていました。ところが、すぐ近くに居合わせたシンガポールの親子連れが、「予約をしているクルマがすぐ来ます。そのクルマでタクシーが拾える街の中心まで行きましょう」と、そのクルマに乗せてくれました。男の子2人を連れたお父さんで、この一試合だけを見にシンガポールから来たそうです。それにしても親切な方がいるものです。感謝です。
ちなみに、行きのタクシーのオドメーターは44万キロ、帰りは34万キロになっていました。ボンに帰り着いたのが深夜の0時40分。
それから1時間ほど、隣のバイエルン料理店で、ポテトとソーセージでビール。この店は深夜までやっていて、とても助かります。薗田監督は朝5時までワインを飲んでいたことがあるそうです。

明日は、いよいよ日本・ブラジル戦です。ドルトムントのスタジアムに下見とロケに出かけます。 ドルトムントは、ドイツ中部の工業都市です。黒柳徹子さんは「川崎みたいな街」と言っていました。

はじめはブラジルサポーターだと思って話を聞いたのですが、実は陽気なドルトムント娘でした。でもバッグの中にブラジルのユニフォームを持っていて、明日はパブリックビューでブラジルを応援すると言っていました。 ドルトムント・スタジアム。1974年の西ドイツワールドカップの為に建設されました。
街の中心部。

今回、大規模に改修されて、巨大スーパーにも見えます。この部分はゴール裏にあたります。 周囲はたっぷりの緑です。 警察犬も配備されています。

オランダ・アルゼンチン戦の為、ドルトムントからフランクフルトへ。
3時間ほどのドライブです。いつも通り、140〜160キロ走行です。アウトバーンは工事が多いです。
この日は道がすいていました。東京でも水曜日はクルマが少なめです フランクフルト・スタジアム。今回行った6ヶ所のスタジアムの中で、観客の移動、クルマの整理が最も巧みに組織化され、実に見事でした。

チケット。 勿論、超満員。48,000人入りました。 盛り上がるアルゼンチンサポーター。

いよいよ試合開始。今回屈指の顔あわせですが、両チーム共に一次突破を決めていて、オランダはロッベン、アルゼンチンはクレスポを温存しました。結果は0−0のドローでした。
生メッシがその片鱗を見せました。
サポーターの数は、圧倒的にオランダの勝ち。なにせアムステルダムからバスで6時間です。

いよいよ22日、ブラジル戦の当日です。
夜9時からの試合は、スタジアムの中でまともに食事がとれない為、昼食で「食いだめ」をしようと、例の「上条」の向かいにある「大同酒家」(China-Restaurant DA TUNG)へ。ずいぶん食べました。ここのおかみさんは、結構日本語を話します。ボンが西ドイツの首都だった頃、日本の大使館関係者が毎日のように来たそうです。

前日下見したドルトムント・スタジアムへ。 前日とはガラッと変わり、人が溢れています。
この日は異常に気温が低く、半袖短パンの人は震えていました。
チケットです。

 
日本人サポーターは、このあたりに集結。 屋根部分は、どうやら1974当時のまま。

さあ、いよいよ試合開始です。
この日のスタジアムは、実に妙な空気でした。大勢のブラジルサポーターが日本の国旗を振っていて、顔には日章旗をペイントしています。すでに勝ち点6を確保しているので、「ただのお祭り気分」なのです。 そして、日本人サポーターのほとんどが、ブラジル選手にカメラを向けています。日本のサッカーファンの多くがブラジルファンです。国歌演奏の時、僕の周囲のブラジル人たちは、なんだか困ったような顔をしていました。自分たちの英雄が監督をしている国代表と戦うというのは、僕たち以上に複雑な気持ちになるようです。 満員で65,000人。
1−4で完敗。試合終了後のスタジアム周辺。
 
日本代表はドルトムントに散りました。
スタジアム近くの公園は、6月下旬で花盛りでした・・・・・
☆ 近日中に「ワールドカップ特別取材・総集編」を掲載する予定です。