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Episode03
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Episode07
Episode08
Episode09
Episode10
Episode11
Episode11'
総集編

ホームページを、ドイツで4回更新して、日本に帰ってきました。
ドイツで本拠地にしたのはボンという街です。
日本代表の合宿は、ボンのヒルトンホテルでした。ここは正にボンの中心地でしたが、我々の本拠地は、ボンの郊外、正確に言うと、
ボンから電車で一駅、Bad Godesbergという街にあるパークホテルでした。ベルリンやニュルンベルクではそうでもなかったのですが、
このホテルでは、意外にもネット事情が芳しくなく、無線LANが使用出来るのですが、そのアンテナはホテル内部にはなくて、どうもこの街のメーンストリートに設置されているようでした。
部屋の中でも、微妙に接続の具合が変化して、あちこちパソコンを移動しながらようやくベストポジションを探し出し、そこにパソコンを設置して、帰る日まで、1ミリたりとも動かしませんでした。
しかも、T―comという、ワールドカップのオフィシャルスポンサーになっている会社に接続料を支払わねばなりません。
料金は15分=2ユーロ、1時間=8ユーロ、24時間=18ユーロです。支払いには勿論カードを利用するのですが、手続きがやや面倒で、時間もかかりました。ドイツという国にしては遅れていると感じました。

さて、前回、総集編を間もなく掲載と申し上げましたが、
それは次回ということで、今回はワールドカップ取材最終回、
Episode 11をお送りします。
ブラジルから帰って来た時は、不思議なぐらい「時差ボケ」がなかったのですが、ドイツから帰って来た後、滞在期間がかなり長かった為か、かなり時差ボケがひどく、今回の更新まで時間があいてしましました。  総集編は、なるべく早く掲載するつもりです。
尚、今回の旅は、この秋発売予定のDVDの為の取材でしたが、
急遽テレビでも放送することになりました。
7月21日(金)、夜7時から2時間、TBS系列です。
その日は、夕方からオシム氏の会見もあるとか。
よろしかったらご覧下さい。


取材の本拠地になった、ボン郊外の「パークホテル」

パークホテルだけあって、目の前は大きな公園。街の中にこの程度の規模の公園がやたらある。

この公園の芝生で、観戦した6試合のチケットを撮影。 出発前に7試合観戦予定とお伝えしましたが、スケジュールの都合で、ポルトガル・イラン戦は断念しました。

ホテルの隣、ホテルと同じ建物に入っているバイエルン 料理の店。実質的には終夜営業で、スタッフ一同とてもお世話になりました。昼間や夕方は外のテーブルでコーヒーかビール、夜はドイツ国旗が飾ってある入り口を入って左側の奥まったところにある大きな楕円のテーブルで山盛りのソーセージとビール。ドイツ取材で2キロ太りましたが、主な原因はこの店です。

パークホテルから歩いて数分のところにある、言ってみれば、レストランコンプレックス。15日の夜、右側2階にあるイタリア料理店に行こうとこのあたりにさしかかった時、なんと正面の階段をクルマが降りて来たのです。階段ですから、クルマは大きく揺れています。「ドイツではクルマで階段を降りてもいいんだ!」などと皆で騒いでいました。この時、階段上と階段下に、それぞれ1台づつパトカーが停まっていました。そのパトカーも咎めないのですから、ドイツではクルマで階段を走ってもOKなんだと思ったわけです。。

ここがそのイタリア料理店です。撮影したのは夜の8時です。とても明るいので昼食に見えますが、ディナーです。

ここのピザは絶品です。パスタもまあまあですが、ドイツのパスタのご他聞にもれず、柔らかめです。経営者も従業員も全員イタリア人と聞いていたので、アルデンテは分かるだろうと、後日「アルデンテでお願い」とパスタを頼んだら、ちゃんと出来ました。アルデンテだと、ドイツ人が嫌がるので、パスタはしっかりゆでているそうです。 この店は、ボンが西ドイツの首都だった頃は、大勢の外交官が詰めかけた店だそうです。今でもその味がひきつけるのでしょう、何時行っても、ほぼ満員でした。店内に大型テレビがあって、時間によっては試合を中継しているのですが、他の店では考えられないのですが、ここのお客さんは、誰もサッカーを見ようとはしません。みなさん静かに食事をしています。スノッブの集まる店なのか、国民全員がサッカーファンではない、ということなのか。

さて、階段を走っていたクルマの話しの続きです。
今回、取材に同行した僕のマネージャーはY君です。
彼は、国内外を問わず、食事に行った店や居酒屋、飲み屋など、
その店の「カード」を収集しています。で、このイタリア料理屋さんでの食事のあと、ホテルへ向かってブラブラ歩いている時、
カードを貰っていないことを思い出し、急遽店に戻りました。
その時、パトカーが前に停まっている3階の店がちょっと気になったそうです。近づいてみると、名前を聞いていた有名な和食屋さんの「上条」です。障子が少し開いていたので、そこから中を覗くと、
なんと、DFの中沢選手の笑顔が見えたそうです。よくよく見ると、
店の中は、日本代表が揃っていたのでした。
「ありゃー!」と思った瞬間、障子はパチンと音をたてて閉まったそうです。
翌日、上条のご主人から話を聞いたら、その時、店の中では、
「おい!怪しいヤツが覗いているぞ!閉めろ!」という騒ぎになっていたそうです。
とにかく、Y君のお手柄で、翌日のすき焼きパーティー再現取材となりました。この話は他には洩れないだろうと思っていたら、
数日後には日本のスポーツ新聞に載ったそうで、いやはや、蛇の道は蛇です。
階段を揺れながら降りていったクルマは、覆面パトカーだったことも判明しました。

再現されたすき焼きの取材。ブラジルも一緒だった汲田龍一 カメラマン。紫のTシャツに不精髭は浮田ディレクター。

完璧に再現されたすき焼き。撮影後、すき焼きは僕たちの昼食になりました。ありがたいことです。

日本代表は、すき焼きに「ラムネ」だった。左のお皿の、肉と白菜の間に黄色いモノが見えますが、これは日本にはない、ドイツでも高価なキノコだそうで、なんとも言えない歯ごたえで、とても美味でした。。

選手たちがサインした日の丸。

この人物がYマネージャー(ニュルンブルクで朝食中)怪しまれる雰囲気は備えている。

ドイツ最終日、デュッセルドルフに向かう。

デュッセルドルフ近く、デュースブルグのスポーツシュ−レ。つまりスポーツ学校。1960年、23歳だった川淵青年は初めてここに滞在して、大いなるショックを受けた。当時、日本には芝生のサ ッカー場はほとんどなかった。ここの芝生は川淵さんの眼には、とてつもなく眩しかったはずだ。この場所こそが、Jリーグ構想の原点になる。

エントランスに続く足元は、サッカーボールがモチーフ。

入り口にある花のポット。これもサッカーボールのイメー ジ

デュースブルグの街を歩きながら、ドイツサッカーの歴史がたどれるようになっている。ここはそのサッカール−トのNo2。あのクラマーさんが紹介されている。ちなみに、このデュースブルグは、優勝したイタリアのキャンプ地だった。

本部の建物。‘60年当時はまだなかったはず。

宿泊施設は、とても清潔


一面緑のサッカーコートが、一体何面あるのか・・・。

この日は、韓国の初等教育のサッカー指導者が合宿をしていた。毎年のことだそうだ。

ドイツ全土から集まったユダヤ系の子供たちも合宿中。

ドイツは、日本と同じく、第二次世界大戦の敗戦国。ドイツは戦後復興の柱のひとつに「スポーツ振興」を据えた。だから、このスポーツシューレは実現した。こういう考え方は、我々日本人には残念ながら出来なかった。

スポーツシューレから30分ほどで、デュッセルドルフ空港。ここからヒースロー経由で日本に帰って来ました。