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Episode11'
総集編

今回のブラジル取材の最大の目的は「故郷でのジーコ・インタビュー」です。日本でのジーコという人物は、僕には、どうしても鎧を纏っているように見えて仕方なかったのです。
何を考えているのか良くわからない、どういう人間かも良くわからない、そう感じていました。
言葉が通じない異国で、サッカー選手、或いはコーチ、ついには国代表の監督を務めるということは、想像を絶する状況です。
鎧の2枚や3枚纏うのが当たり前とも思えます。
故郷リオデジャネイロで、「素のジーコ」に会いたかったのです。

ブラジル到着から数日後、インタビューが実現しました。
所は「ジーコサッカーセンター」です。
ジーコは、後進の指導、育成に大きな力を注いでいます。
自宅から10分ほどのところに、「CFZ」という立派なサッカーセンターを作りました。CENTRO DE FUTEBOL ZICO。
ジーコサッカーセンターです。
本部の建物を中心に、メインのアントゥネススタジアム、更に芝生のグランドが3面、人工芝のものが1面、ビーチサッカー用の砂のグランドが1面あります。かなりの規模です。
アントゥネススタジアムを本拠地とするサッカーチーム、
CFZリオデジャネイロ(CFZ・ド・リオ)は、リオデジャネイロ州の一部リーグにもうすぐ昇格出来るそうです。

CFZの入り口。すぐ近くまで山が迫っている。空気も澄んでいる。 CFZの本部建物。 中心となるアントゥネス・スタジアム。ESTADIO ANTUNESと書いてある。
この日は、山形県の羽黒高校サッカー部が練習試合に臨んでいた。後で聞いたら7―0で羽黒高校が勝ったとのこと。 本部裏庭で、ジーコさんを待つ。 屋外のインタビューでは珍しい「同時通訳システム」を採用。手前はご存知鈴木通訳。鈴木さんは声が大きいので、かなり離れてもらった。
インタビューはかなり長時間に及んだ。リオでは、真夏でも、日がかげると急に気温が下がってくる。 無事終了。記念撮影。ジュリエッタさんも。
 
ジーコさんのスケジュールはタイトで、続いて地元のテレビ局のインタビューが始まる。

僕にとって最大の謎は、ブラジルで英雄になり、スポーツ大臣まで務めた人物が、何故日本のアマチュアリーグ、しかも2部のサッカークラブに参加したのか、幾ら考えても納得できる答えは見つかりませんでした。どうしてもそれを聞きたかったのです。
今回のインタビューで、少し分かったような気がしました。
1993年のJリーグ発足前後から、日本には、世界のサッカー界のビッグネームが次々とやって来ました。信じられないような顔ぶれでした。彼らのお陰で、日本のサッカーは急激に進歩しました。
世界のビッグネームがやって来たのは、勿論ジャパンマネーの力もあるでしょう。でも最も大きな力になったのは、
「日本にはジーコがいる・・・」という事実だったと思っています。
日本サッカーの隆盛を目の当たりにして、僕は心からジーコに感謝しています。この気持ちは、ジーコにインタビューしながら、僕の心の中で、抑えられないほど大きくなっていきました。

リオの街では数え切れないほどの方たちに話を聞いた。「ブラジルは日本に勝つ!」がほとんどの声。リオ市民の大半がロナウジーニョのファンだった。 実は、ジーコさんのご自宅にもお邪魔しました。 庭の片隅にある、トレーニングルーム。 芝生がとても綺麗な、フットサルコート。
もちろんプールもあります。 バスコダガマのホームゲームも観戦。夜の9時45分キックオフにもかかわらず、子供と若い女性が多い。 こちらは、ポルトゲース対フラメンゴ。 ポルトゲースのホ−ムなのに、ほとんどがフラメンゴファン。フラメンゴが先制した瞬間、どっと立ち上がるサポーター。
僕の前の少年。 リオ郊外に広がる、南米最大と言われるファベーラ。いわゆるスラム街だ。 山肌にしがみつくようにして広がっている。  
ファベーラの中に分け入ってみる。 恐らく、安全で、あまり不潔ではないところに案内されたのだろうが、住人はこざっぱりしていて、家の中も清潔だった。
どこでも、子供たちは元気で可愛い。 あるテレビ局で、旧知の人達に囲まれたジーコさん。日本ではとても見られない表情だった。 ブラジルでの最後の仕事。夕方のイパネマビーチ。
     
イパネマの夕陽。